「幸せになるためには、何を求めるべきか?」という決定的な話(アランの幸福論)~名古屋心療内科マンガ






幸せになりたいか?
こう聞くと、言うまでもなく、大半の人が「もちろん幸せになりたい!」と答えると思います。
いえ人によっては「私は不幸になるべきだ!」「私は不幸になりたい!」みたいな、自分を責めたり、マゾヒスティックな人もいるかもしれませんが、それはまぁ、広い意味で「不幸な自分を望んでいる」イコール「それが本人にとって幸せ」と考えると、まぁ、「幸せを望んでる」と解釈することもできるかもしれません。
まぁ、このあたりは置いておきましょう。
何にせよ大半の人は「幸せになりたい」と思っているはず。
では一体「何があったら」「どうしたら」人は幸せになれるのでしょうか?
そう聞くと、多くの方が
「お金がほしい!」
「恋人がほしい!」
「家庭が!」
「人生の成功が!」
「これこれこんな人生を!」
みたいなビジョンや夢を語ってくれると思います。
しかし考えてみましょう。
果たしてもしも「それがかなったら」、人は幸せになれるのでしょうか?
「幸福論」で有名な哲学者、アラン先生は、
「幸せになるためには、幸せそのものを求めなくてはいけない」
と述べています。
「幸せになるための何か」という回りくどいものではなく、幸せそのものを求めるべき、と話したのです。
これ面白いなぁ、と思うのですが、いかがでしょうか。
何があっても、それが確実に常に幸せにつながるとはかぎりません。
どんなにいいものでも、失ってしまうかもしれませんし、または「思ったほど良くなかった」ということだってありえます。
またはその目標があまりに高すぎて実現しない場合もありますし、そのときは「ずっと不幸」になってしまいます。
重要なのは「幸せそのもの」。
そしてそれは、実はこの瞬間からでも実行できるのです。
では具体的にはどうしたらいいのでしょうか?
たとえばですが「ニコッと笑って姿勢を正す」だけで気分が良くなります。
これだけでも、小さくても一つの幸せです。
「いやそんなもんじゃなくて、もっと大きな幸せがほしい」
と思うかもしれません。
もしそう思うのなら、そのための答えはまた、こちらのコラムで扱っていこうと思います。
ただ現時点で大切なのは「幸せになりたいなら、幸せそのものを求めるべき」ということを覚えておくことです。
今回の話、何か少しでも参考になることがあれば幸いです。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。
(完)
