桂正和先生の原画盗難と署名活動についての心理学的分析~シミュレーションヒューリスティックス~名古屋心療内科マンガ

今日は、ネットニュースを見ていて胸がギュッと締め付けられた、
漫画家・桂正和先生の原画盗難事件についてお話ししたいと思います。
一言で言うと、桂正和先生の原画が盗難にあい、それがオークションサイトなどで売られている、とのこと。
その価値は数億円レベルの被害だそうです。
本当にひどい話です。
自分も青春時代は『I"s<アイズ>』や『電影少女』を読んで、妄想…いえ、想像力を育んだものです。
いま、ネット上では「絶対に許せない!」「取り戻そう!」という署名活動がすごい熱量で広がっています。
でもここで、ふとした疑問があります。
もし、これが「資産として持っていた数億円の金塊を盗まれる」とかだったら、多くの人がここまで熱く怒ったでしょうか?
「金塊」と「原画」の不思議な違い
もちろん「うわ、犯罪だ!」「警察がんばれ」とは思います。
でも、「まあ、大金持ちだし大変だなあ」なんて、ちょっと冷静になってしまう部分もあるかもしれません。
被害額は同じ数億円。むしろ金塊の方が「現金化」という意味では価値がはっきりしているかもしれません。
それなのに、なぜ原画だと、僕たちはこんなにも胸を痛め、犯人に強烈な怒りを感じるのでしょう。
実はここで、「シミュレーション・ヒューリスティックス」という心理学の用語があります。
想像できる痛みは、自分の痛みになる
名前は難しそうですが、中身はとってもシンプル。 「人間は、頭の中でリアルに想像(シミュレーション)しやすいものほど、感情移入しちゃうし、『ありえる話だ』と真に受けやすい」 という心のクセのことです。
ここで先ほどの「金塊」と「原画」を比べてみましょう。
一般的には「数億円の金塊を持つ気持ち」なんて、結構想像しにくいものです。
そのため脳が「ふーん、そういう世界もあるのね」と処理をスルーしてしまい、感情のスイッチが入りにくくなります。
でも、「原画」は違います。 それは、先生が若い頃から睡眠時間を削り、指にペンだこを作り、悩みながら描き上げた
「努力と時間の結晶」です。
僕たちにも経験があるはずです。
「お金には代えられない大切なもの」を奪われる痛み。 これは、誰でも鮮明にシミュレーション(想像)できます。
だからこそ、「原画が盗まれた」と聞いた瞬間、僕たちの脳内で 「もし自分の大切なあれが盗まれたら…」 というシミュレーションが勝手に作動して、先生の痛みがまるで自分のことのように感じられてしまうのです。
「大好き」が想像力を加速させる
さらに当然ですが、多くの方にとって大好きな漫画家さんだということも、この心理を加速させています。
僕たちは漫画を読みながら、先生の描く線の美しさに感動してきました。
「この髪の毛一本描くのに、どれだけこだわったんだろう」 そうやって無意識に先生の苦労を想像してきたファンにとって、原画はただの紙ではありません。先生の「魂そのもの」です。
今回の署名活動は、ただの「返せ」という要求ではなく、 「私にはあなたの痛みが想像できます。だから一緒に怒ります」 という、ファンからの精一杯の共感のメッセージなのかもしれませんね。
さいごに
心理学どうこうは置いておいても、一人のファンとして。 先生の魂である原画が、あるべき場所に戻ってくることを心から、リアルにシミュレーションして祈っています。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。
(完)


















